私にとって痩せることは幸せでなかったです。「痩せていることがよい、体重が45㎏であることが素晴らしい」その価値観って他者評価であって自分の求めていることでないことに気づきました。
私は10代のころから痩せるということにこだわってダイエットに執着して生きてきましたが、痩せるということが私の幸せではなかったことに気づきました。ダイエットしたことで、心身ともに疲弊し、いつ割れるかわからない繊細なガラスのようで触ったら今にも壊れそう、誰も触れられないそんな危うい精神状態でした。
誰かが言い始めた「痩せていないとダメ」という見えない洗脳によってココロもカラダも健康を害している人は私以外にもたくさんいるんではないでしょうか。
もちろん痩せていて健康的な人もいます。そもそも、それぞれ体の特徴は十人十色でいくらダイエットしても痩せにくい人がいるようにいくら食べても太れない人だっているし、骨太の人もいるし骨格だってまったく違うので「〇〇㎏が標準」など具体的な数字で分断するのは理にかなってない気がします。
不思議なことに太っていても健康的な人っているんですよね。だからそれぞれのベストな数値は、標準といわれる数値とは違うと思ってます。数値は自分を表す一部分でしかない。
私は、桐谷美玲や広瀬すずにはなれない。だから自分にないものを求めても仕方ない。自分が持っているもので勝負するしかない。結局は中身、自分がどうあるかにフォーカスしてオンリーワンの幸せが美しさにつながると思います。
他人軸ではなく自分軸で生きる
そもそもなんで痩せることにこだわっていたのか、ということなんですが、自分にまったく自信がなかったからなんですよね。いつかに味わった「痩せたら褒められた」という成功体験に固執していたんだと思います。
そして自分に自信がなかった理由は、家庭とか親とか環境が大きな原因でもありますし、自分で努力して得た成功体験が他になかったからだと思います。ただ、家庭環境が悪かったなんてありふれすぎたエピソードですし、家庭環境が悪かったとしてもめちゃくちゃ人間性が素晴らしい方もいるので、それを理由にするのは簡単だし逃げだな~とも感じてるのですが、、このあたりの話はまた別の機会にお話ししたいと思います。
結局は自分自身の問題ですね。
自己肯定感とはなんぞ
自己肯定感を高めよう!自分を好きになろう!なんて言葉をよく聞くようになりました。自分嫌いの方がなんと多いことか。
私自身も痩せることにこだわってメンタルがどん底でメンヘラだった時期は毎日のように、「自分を好きになる」「自己肯定感」というフレーズをめちゃくちゃネットで調べていました。気持ちが楽になるヒントを探してネット依存にも陥っていましたが、私のように自分に鞭打って生きている方はほかにもいっぱいいるんでしょうね。心が痛みます。
20年弱の長い間こだわってきた「痩せる」という思考から解放されて心が安定し毎日が充実するようになった今、自己肯定感という言葉をまったく気にしなくなりました。
そこからきづいたのは、そもそも自分に自信がある方は「自己肯定感」なんて意識して生きていないんじゃないかということです。その仮説から、自己肯定感ってなんだろう?自己肯定感を上げるってどういうことだろうと深く考えてみたことがあります。
その結論。自己肯定感とは「自分の悪いところ、認められないことを許してあげること。受け入れてあげること。」これが自己肯定感の基礎になるものだと思います。
こうでなくちゃいけない、こうしないといけない、こうあらなければならないなど、「~べき」という考えにこだわっているうちは自己肯定感の真逆にいたんだろうなと思っています。
自分の体形を受け入れたら楽になった。
私の母や祖母、叔母や妹など血縁女性の体形を思い浮かべたら桐谷美玲のような体形の人はいません。笑
どちらかというと水ト麻美や深田恭子派。食べることが好きで食べたら食べた分だけ身につく太りやすい体形だと思います。骨太だし、骨格もしっかりしているし肩幅も広い。ボンキュッボンの体形で胸もおしりもボリューミーです。そんな血筋が桐谷美玲を目指してもそりゃ無理です。笑
ある時、その事実に向き合って、「私は私にしかなれない」とすんなり受け入ることができて、無理な食事制限やトレーニング並みの運動はやめました。
今は好きなものは我慢しない、野菜をたっぷり、植物性のたんぱく質をとる。食べすぎた次の日はセーブするなど、頑張りすぎないような食事制限をしています。
また、私はデブだけと、髪の毛はきれい、もち肌、肌は強くてきれい、という自分の持っているものにフォーカスできるようになり、髪の手入れや肌の手入れに力をいれるようにしました。
強みを伸ばすほうが弱みを克服するより断然簡単でやりやすい!みなさんも弱みより強みを延ばすほうを意識してみてください。
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