自分の終末を考える。いくつでしぬのか。

何歳でしぬかを決めてから生きる

最近、たくさんの方の人生のプランを考える手伝いをしているライフプランナーの方、終末ケアをされているケアマネージャーの方とお話する機会を得られてそのお話の中で印象に残ったことがあります。それは、「自分の終末を考えて生きるということ」。

「ライフプランを考えるために、まずは最初に自分がいつしぬのか決めましょう」

こんな質問をされまして、私全然考えたことがなかったので、うーんとうなってしまいました。自分が何歳で亡くなるのかなんて考えて生きている人、少ないのではいでしょうか。

自分が亡くなる年齢を決めてから今の年齢を基準に、仕事をどうするのか、プライベートでやりたいことなど、ライフステージでかかるお金のことなど人生設計を考えていると、もたもた悩んでいる暇がないことを思いしらされもっと計画的に`今‘を大事にして生きなきゃ!と焦りました。ライフプランナーの方に、結婚はするのか、子どもは欲しいか、家が買いたいか、どんな生活がしたいか、とひとつひとつ質問されたので、私はいったいどういう人生を生きたいんだろうと改めて考える機会になりましたし、「自分が何歳でどんな死に方をするのかということを考えて生きるともっともっと有意義な生き方になるかもしれない」そんな気づきもありました。

今までの私は自分探しをし続けて迷走している迷い子そのもの。他人の目ばかり気にして自分がいったいどうしたいのかがわからなくなってたので、自分の幸せ探しをあれやこれやと試して失敗したり、フィット感がなくこれじゃないと、またほかに目移りしたり、みたいなその場限りのアクションばかりしていて、計画性・継続性がなくめちゃくちゃ遠回りしてましたね。

あの頃の自分に会えるなら、あなたの幸せはそこにはないよと言ってあげたい。笑。 心身ともに安定し自分の足で自立して立てるようになってきた今、やっと自分の人生を歩んでいる気がしていてやりたいことや求めていることもなんとなくわかってきたので、ロスタイムが超長かった分しっかり考えて生きなくてはと思っています。

自分がなくなるときに人生の答え合わせができる

別の機会に、終末ケアをしていらっしゃるケアマネージャーの方からお話を聞くことができました。

終末に多くの家族に囲まれている人、現役時代はめちゃくちゃ偉い方だったのだろうに独りぼっちの方、いろいろなパターンの方がいらっしゃるようで、人生の結果が終末にあらわれていてその人のストーリーがわかって興味深いとおっしゃておられました。

そのお話を伺いながら私の二人の祖父のお葬式を思い出しました。

二人は対象的で一方は近所の方のみの家族葬でコンパクトなお葬式、もう一方は、大勢の方が集まってくれた盛大なお式、どんな生き方をしてきたか、どんなふうに人に接してきたか人柄が現れていましたね。

年を重ねるごとに周りはだんだん居なくなっていく(亡くなって)ので、必然的にさみしいお葬式になるとは思いますので、90近い年で亡くなって、たくさんの方が見送りに来てくれるというのはやはり人徳でしょう。もちろん価値観はいろいろなので他人からみたらさみしい終末でも本人自身は満足しているかもしれませんので余計なお世話ですし、どちらが正しいという話はありませんが、自分はどういう終末を迎えたいのか、それを考えているのと考えていないのでは生き方は大きく変わってくると思います。

私は、たくさんの人に見送られて、この人はやさしかった、いい人だった、すごい人だった、って悼んでもらいたいな。

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